Leave me alone

右に行ったり、左に行ったり…彷徨いさすらうアラフィフ男のブログです

介護って…

以前から長女は生活の全てにおいて介助が必要であることは書いてきました。

会話も自分の意思で身体を動かすこともできないので

僕が「今、彼女に必要だと思うことを予測して行う。」、そんな日々です。



年が明けてから、同居人がメニエール病になりました。

発端は片耳が聞こえなくなったこと。

その数日後に目眩がひどくなり、会社から早退しての帰宅途中に

車が運転できなくなり、とある店の駐車場に停めて自分で救急車を呼びました。

(携帯に着信はあったのですが、僕は重要な会議で発言中でした。)



その後、搬送された病院に4日ほど入院。

退院してしばらくは普通の日常生活が送れていました。

しかし、徐々に目眩の頻度が増え、ひどい時は起き上がれない状態に。

ここからが僕にとって過酷な日々の始まりでした。



朝は交代で行っていた長女の送迎が毎朝になり

デイサービスへの迎えも当然毎日。

次女の塾の送迎やら残っていた予防接種も僕が連れていくことに。

元々少なかった家事をやらなくなり、ほぼワンオペ状態です。

しかもタイミングの悪いことに今、食洗機が壊れてるのですが

家計が苦しいのを理由に買い替えが保留中。

「買うまでは自分が洗うから」と啖呵を切った本人がダウンし、約束は反故に。



結局、僕も疲労が溜まり、一時風邪を引き仕事を2日休みました💦

あれから1月半ほど経ちますが、同居人の症状は相変わらず。

かかりつけ医を職場の近くとしていましたが、車の運転が不安で

自分1人では行けないため、近所の耳鼻科に連れていきました。

口だけは達者なので「コーヒーゼリーが食べたい」だの

「ジャスミン茶が飲みたい」だのうるさいったらありゃしない。

通院時も以前にもらってた薬が切れるのを言い忘れ

僕がその後、クリニックにお願いして薬のみ処方してもらうなど

迷惑なことこの上ない。



何が書きたかったかと言いますと、家族とはいえ

情のない人への介護なんて到底無理だなってこと。

母の晩年、介護をしてくれた妹は「想いがあるから出来ることだよ。」と。

「今まで色々としてくれてありがとう。その恩返しなんだよ。」と。

すご〜く納得しましたね。

長女については純粋に父性やか弱い存在に対する慈愛の心があるからだと

思っていて、介護も苦ではないんです。

対して、同居人については「何でこんなことやらなきゃならないんだ!」との

感情しか浮かんでこないんです。



冷たく情のない奴だなと自分のこと思うけど、無理なものは無理なんです😅

1ヶ月ちょっとでもこんな風に思うのだから、老後なんて全く無理。

そういうことも含めて、きちんと先々のこと考え始めないといけないなと思ってます。

続・一期一会

以前、ムラゴンのお友達でメールのやり取りをさせていただいている方がいると書きました。

実はその方と先日お会いしてきました☺️

不思議なご縁ですね。



あの後もほぼ毎日1通程度、メールを送り合っていました。

そうやって少しずつお互いのことを理解する、そんな日々がしばらく続きました。

それでもどこに住んでいるかはなかなか聞きづらく、情報を小出しにする感じで。

いざ勇気を出して聞いてみると会えない距離ではないことが分かりました。



そうして、日にちは早めに決まったものの、会ってどこに行くかがなかなか決まらず💦

お互い会える時間は日中しかないのですが、彼女はお酒が好きなようで(あっ僕もか)

昼間から飲めるお店を探すもなかなか良いところが見つからず…。

かと言って、インターネットカフェやカラオケボックスもイマイチで。

いわゆるデートスポットも一目につくということでパス。

最終的に、美味しいお店でランチということで落ち着きました。



僕の写真は事前に送ってありましたが、彼女の方はどんな方か分からず

元々人見知りなので朝からすご〜く緊張してました。

お店にも先に着いてなきゃ!と早めに到着したものの、営業開始時間にならないと

エレベーターが動かないらしく、周辺をぐるぐる周回しちゃいました😅



で、いざお会いしたら…とても、とても素敵な方でした☺️

メールで、お話があまり上手じゃないなんて言ってましたが

そんなこと全くなくて、逆に僕の方がちょっと上の空で。

彼女はきちんと僕の目を見て話してくれるのに、僕は年甲斐もなく

照れてしまって、明後日の方を見ながら話すことも💦



彼女は学生時代スポーツをやっていただけあって、姿勢も良くて

受け答えもハキハキしてて、とても楽しい会話になりました。

当日はうまく当てはまる言葉が思い浮かばなくて「ハツラツした方」なんて

失礼な物言いになってしまったのですが、帰宅して思い出しました。

「凛とした」という表現がピッタリの方です😊



約3時間半、あっという間に過ぎました。

その後ももう少し一緒にいたかったけど、彼女は夕飯の支度があるそうで

やむなくそのまま解散となりました。

最後に改札で「また会ってくれますか?」と言うのが僕の精一杯でした。



今までの色んなことが積み重なって、僕は女性と会うことや

恋愛についてすごく臆病になってしまったのかもしれません。

彼女は「本音でいきましょう」と言ってくれるのですが

僕の性格なのかな、石橋を叩いても渡らないというか😅

こんな事言って大丈夫かな?と常に思ってしまうんです。



幸い、その後もやり取りは続いていて、それが僕の癒しであったり

励みにはなっています。

彼女が僕のことをどう思ってくれているのか、気にはなりますが

毎日メールをくれていることが1つの答えなんだろうと前向きに捉えています。



また後で書ければと思いますが、同居人がまた煩わしい状態になってます。

だから余計に彼女からメールが届いて、スマホのアプリのところに

「1」とあるのが数少ない楽しみの1つになっています。

この先も大事にしていきたい関係です。

続・ピアス

もうだいぶ前に、ピアスホール開けたいなぁと書いてました。

調べたら2021年の11月頃でした。

あれからずーっと悩んでました。

悩んでたというと大袈裟ですが、ずっと気にはしてました。

ただ僕は仕事柄、人に会うことが多く

またいい歳して〜と躊躇いがありました。



その間色んな人にも相談しました。

ママ友だったり、モデルとなったバーのマスター

そして、先日記事に書いたメル友さん。

皆さん、開けることに賛成でした。

その中でも響いた言葉があって


「ピアス開けても誰にも迷惑かけませんよね。」と。



うーん、確かにそうだなぁと。

悪いことしてる訳でもないですしね。

すごく背中を押してもらった気がしたんです😊



で!昨年末に開けましたー👏

あっ左耳だけですけどね。

皮膚科行って、ピアッサーで開けてもらいましたが

痛みは一瞬で何だか洗濯バサミで挟まれた程度でした。



あれから1月半…何人かの方には気付かれ

経緯を聞かれたりしましたが「遅れてきた反抗期」と言っておきました😅

でも、社交辞令もあるでしょうが皆さん概ね好評でした。

息子や次女からも「パパ、良いんじゃない?」と珍しくお褒めの言葉が。

ただ以前から反対していた同居人は開けてから2週間ほど経った頃に


「えっ!いつ開けたの!?気持ち悪〜い。鳥肌が立つわ。

 あれほどやめておきなって言ったのに。」


これ聞いた時、腑が煮え繰り返るほどの怒りを覚えました。

と同時にこの人は人としての大事なものが著しく欠けてるなとも。

ついでにこんなことも言ってました。


「まさかその費用、家計に請求しないわよね?」


コイツどこまで性根が腐ってんだか。

自分のものは自分で払うに決まってんだろ!と思いましたね。

大体向こうこそ公私の別が怪しいもんだと思ってるくらいですから👎



最近、ファーストピアスの6週間が過ぎたので

念願だったバーのマスターが付けてるブラックダイヤモンドに替えました👌

石の大きさ、0.1か0.2カラットで悩みましたが、0.1にしてみました。

僕らしく主張しすぎず、目立たない感じで良いと思ってます😊



「ピアスを開けると人生が変わるよ。」なんていう人もいたりしますが

至って何にも変わってません。

でも、自分がここ数年やりたかったことができた時点で

満足なのかもしれません。